写真やフォトブックに関するインタビュー
写真やフォトブックに関するインタビュー
「けんじ、どうして日本はまだリアリズムにこだわっているんだい?
アメリカではもう10年以上も前に終わったことだよ」
アメリカのとあるプロの風景写真家と話をしていた時に言われて、私も初めて気がついた。
日本のカメラメーカーが世界シェアのほとんどを獲得している状況の中、肝心のアウトプットである写真に対する考え方はアメリカと日本ではまるで違う。
日本では多数のフォトコンテストの応募規約からもわかるように、皆がそろってリアリズムを意識している一方で、アメリカでは写真を個性として尊重している人が多くいる。
ここでいうリアリズムとは、反レタッチ、撮って出し第一主義、本当に目視できるものなのかどうかなどを意味する。
では、日本の「写真」とアメリカの「Photography」の違いはいったい何か?日本とアメリカの考え方の違いは何か?そこの考え方、捉え方の違いを少し考えてみることにした。
カメラの歴史は古く、基本的な概念が登場してきたのは約1000年前。しかしながら、イギリス人医師のリチャード・リーチ・マドックスが1871年にカメラの母体となるものを開発したために現在カメラ機として普及されるようになった。
ここで英語のPhotographyの意味を今一度見てみる。日本の一般的な英和辞書で調べるとPhotographyは写真撮影術、写真などと翻訳されている。真を写すで写真となっているわけだが、本来の意味は違う。英英の辞書で見てみるとPhotographyとは電磁放射線などを含む光を取り込んだものとなっている。
真を写す物であることと光を取り込んだ物であることとでは、明らかに意味合いが変わってくる。
実は日本の辞書でも写真という単語を調べてみると、同じように放射線などの光を記録するものとあり、二つ目の意味として、ありのままを写すこととある。とは言っても、大多数の人は写真と言ったら、「真を写すもの」であると思っているだろう。この「写真」という漢字そのものがリアリズムの考え方に影響を与えているのは否定できない。
そもそも写真は人間が見た物をそのまま写し出しているのだろうか?写真、特に夜の写真を撮った事がある人であれば経験したことであるだろう。飛行機や車などの乗り物の光跡、人物などが動いた時の残像、天の川、月明かりなど人間の目では直接見えないものをカメラを捉えることが多々ある。その理由はPhotographyとは光を捉えるものであり、人間の目で見える真を写すものではないから。
では、なぜ白黒写真は受け入れられるのだろうか?常人であればこの世の中は全てカラーで見えており、白黒では見えない。白黒は現実ではなくカメラの制限された機能によって生み出された産物である。
前述のカメラの機能制限によって始まった白黒写真のように、実は現代の技術でもカメラの機能は制限されている。しかしながら、自分の経験上では想像できない写真に遭遇した時に「それはカメラが撮ったのものか(それは本当か)」と聞かれることがある。つまり、カメラの性能範囲内で撮れたものが写真(現実主義)であり、それ以外は受け入れられないという人が日本では多くいる。一番典型的な例としては、HDR(ハイダイナミックレンジ)の状況で撮影をした時である。人間の目は優秀で逆光時でも影の部分にあるテクスチャーを見ることができる。
しかし、いまの上位機種のデジタル一眼レフでもそれをしっかり人間の目のように捉えることはできない。よって、逆光時に撮った写真で影となるべき部分がしっかりと写っているような写真を見ると、これは写真じゃないと批判を受けることがある。
現在NikonD810を始め、上位機種のデジタル一眼レフはHDR時に対する処理が新しいカメラのセンサーとともに改善されてきているし、カメラ内にHDR機能のあるデジタル一眼レフも多くある。
そんな中、シャッターボタンを押した瞬間に捉えたものでなければ、残念ながら日本では受け入れられない。将来、さらなるHDRをカバーできるカメラ機が登場することは想像できるが、そんなカメラが世に出るまでは、HDR写真は写真じゃないと批判を受け続けるのであろうか。
ここで、よく考えてもらいたい。
本当にカメラ単体が持つ機能が全てなのか?アメリカではソフトウェアがカメラの補完的役割であるという考え方もある。つまり、カメラの機能でできないのであればそれができるソフトウェアを使うのである。そこにテクノロジーがあるのであれば、使わない手はない。
しかし、日本では普及していないためにソフトウェアを使った写真の仕上げに対して否定的な考えが根本にあり、パソコンを使った写真の処理(レタッチ)は本物ではない、という人が多くいることは周知の事実である。
写真もPhotographyもどちらにもアート性はある。一方はカメラの機能性に縛られた範囲で表現するアートであり、もう一方は可能性を見ているアートだと感じる。どちらのアートも個性を追求していくわけだが、横並びという日本の文化がさらにアートを制限させてしまっている気もする。
アメリカでは革新的なこと、新しい技術を取り入れる事に対しての障壁は少なく、日本では一般的になっていなければ使われることはない。
またアメリカでは家の玄関に入ってすぐのところ、もしくはリビングルームやオフィスにどーんと風景写真を飾ることが多々ある。すると買い手のニーズとして、よりクオリティの高い写真、よりユニークな写真を求めるようになり、そのニーズに対応しようとした結果、アメリカには新しい写真の考え方が出てきたと言っても良い。
絵画の歴史においても似たようなことが起こった。写実主義と印象派の論争。音楽で言えばクラシックとロック。何が悪くて、何が正しいということはない。しかし、どちらが好みでどちらが好みでないかというのはある。写真そのものも同じである。適正露出はあっても、100%正しい露出はない。それは、人それぞれの好みによって決められる物で、正しい答えは存在しないから。
1974年生まれ。
大学卒業後、証券会社を経てウェディングギフトサービス企業を友人と創業し、中国のバイオテクノロジー企業の経営に携わる。
2010年より渡米。ハルト・インターナショナル・ビジネススクールでMBAとファイナンスのダブルマスターを取得。
アメリカの広大な景色に刺激を受け、風景写真において重要な、撮影場所を共有するサービス「パシャデリック」を開始。
パシャデリック サイト
https://pashadelic.com/